勝海舟と福沢諭吉の“我慢”くらべ
中央区の地図を眺めると、隅田川の河口に近い右岸、築地明石町に聖路加病院が見える。病院の斜め向かいには、「慶応義塾発祥の地碑」と並んで「蘭学事始の碑」がある。南西に目を移すと、国立がんセンターが立地する。
築地は昔も今も、西洋医学の中核であったのだ。
その昔、緒方洪庵に蘭学を学んだ福沢諭吉は、中津藩に召されて鉄砲洲の中屋敷で子弟に蘭学を教えた。それが、いまの聖路加病院の辺りになる。『蘭学事始』を著した杉田玄白は、蘭学の先輩である前野良沢のいたその中津藩邸に通っていたという。
記念碑をみたときに、すぐ幕府の軍艦奉行、勝海舟を思い浮かべた。海舟の幕府軍艦繰練所も確か築地にあったはずだ。慶應義塾福澤研究センターの都倉武之講師に聞くと、繰練所は諭吉の蘭学塾から南西に800メートルの国立がんセンター辺りにあったという。
妙な偶然ではあるが、この2人、同じべらんめえ調の開明派リアリストなのにどうも仲がよくない。だから「海舟びいき」「諭吉好き」としては、どう整理をつけたものか悩まされ続けてきた。
海舟さんは昨年12月の小欄でも取り上げた。江戸「無血開城」の巧みな政治戦略と柔軟な思考を高く評価した。諭吉さんの方は、文明開化を牽引(けんいん)しながら、新時代の自由と実利の気風を鼓吹した知識人である。
この開明派2人が犬猿の仲であったとの証拠が、上野の東京国立博物館で開催中の「未来をひらく福沢諭吉展」でみることができる。
引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090219-00000579-san-soci
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